ドラマについて その1
「次にアップする記事は動画だ!」と心に決めていましたが引っ越しが全く終わらない、というよりもPC周りの環境が全く整っていないのでテキスト記事を挟みます。
以前の記事で「ストーリは誰にでも創れる」と書きました。この記事の内容に噓偽りはありません。ませんが、その創ったストーリーが面白いかどうかは別問題です。ですので面白い物語とはどうやって作るのか、もしくはどういったものなのか、という基礎の部分を少しだけ書こうと思います。
ドラマとは葛藤である?
大学で脚本を学ぶ場合、幾度となく出てくるのが、ドラマとは葛藤である、ということでした。主人公と対立環境がせめぎ合い、最終的に決着がつく、というのがドラマの基本であるということです。この対立環境というのは、分かりやすく対立環境を背負った人物の場合もあれば、自己が抱える問題であったりもします。
つまり
1.物語を動かしていく人物が対立環境と向き合い
2.行動を起こして、乗り越え打ちのめされてせめぎ合い
3.その決着がつく
のがドラマチックである、と。で、決着がついた後に余韻があって終わり。実は、これがドラマの起承転結、典型になります。ですのでどうしても伝えたいことをこのベースに乗せていけば、おのずとドラマチックで見ごたえのあるものになっていくという寸法です。
起
ドラマは起承転結じゃなくて序破急の三段階で考えた方がすわりがいいのでは? という方もおられますが、自分は起承転結で育ったのでこちらで説明していきます。
起の部分。物語を動かしていく人物が対立環境と向き合い、という部分が起にあたります。ここまででテーマの提示と舞台の説明、そして対立環境の提示をいっぺんに済ませてしまいます。つまり、物語に必要なものを最初に全部揃えておくということです。一般的な作品の場合、ここまでを15分ないし20分で済ませます。この時間配分は、同じ展開を飽きずに黙って見ていられるのは15分くらいであるという古い統計を基にしているようなことを聞いた記憶があります。ただじっと待っていられるのは3分で同じ状態で集中力を維持できるのは15分。ですので15分刻みでガラリとシーケンスが変わると心地よく見ていられるテンポになると言われています。
あぁ、脚本の話をしていましたが自分の本職である編集に関係のある事が出てきましたね。私はこれを15分線と呼んでいます。起の部分が長かった場合は極力テンポを上げて詰めたり、大きく話が展開するシーンの位置を微調整したりすることがちょくちょくあります。もちろん脚本の段階でそういう配慮がなされているのですが、実際に撮影すると当然ズレてくるのでウチに来るVシネなどではポスプロで見やすいタイムに調整しています。
承転結
で、承・・・と行きたいところですが、先に転の話をします。転は葛藤の決着がつく部分です。クライマックスというやつですね。主人公はこれまで対立してきた対立環境にコテンパンにやられて最大のピンチを迎えています。物語も終盤、いよいよ決着の時。モチーフ的決着とテーマ的決着が同時に訪れ、主人公は勝利、もしくは敗北します。最良の脚本は、この瞬間に物語全体の全てが繋がり強い説得力を持ってテーマ、つまり一番伝えたかったことがハッキリと伝わるように出来ています。それが「美しい脚本」です。なお、この転に関してもですが、残念ながら15分ないし20分しか用意していません。15分ワンブロックと考えてください。
そして余韻。これが結の部分になります。
あれれ? おかしいな? と思った方がいるかも知れません。起と転で合わせて30分、最大で40分しかない。で、推奨は15分刻みって言ってるんだから実際には30分。映画って100分くらいあるんじゃないの? と思うのはもっともな話かと思います。30分、それと余韻部分、を足した時間、以外は全部「承」です。ただし、これも15分刻みで考えます。承1・承2・承3というように、ワンブロックごとに違う展開になるようにシーケンス分けしていきます。
ドラマチックなだけでは足りない
これが構成の基本となります。動画は観る人の時間を占有するものです。いい話にしていくにはドラマチック、劇的であることだけではなく、観る人が集中力を維持できるかにも配慮をしていく必要があります。どうしても伝えたいことがあり物語の形式を取ったのであれば、より効果的に伝わる術を講じていく必要があります。そうなってくると単純に創り手側の都合を押し付けるような形ではなく、多少はユーザーフレンドリーにして寄り添っていかなければ物語である意味、意義が失われかねません。物語は創り手のものではありません。視聴者のものでもありません。物語の本質は、人から人に語られること、伝えられること、その間に存在します。創り手の意図も視聴者の理解も、どちらも揃って初めて物語は完結します。
「劇的」について知ることは創り手はもちろんですが、その構造や法則性は観る側にとっても有用であると自分は思っています。
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